2016年3月2日水曜日

115羽:言葉遊び

親父に、
「考え方が異常だ。」
と言われた。

そうれはそうだ。
俺も自覚している。

そして、
「この日記は『言葉遊び』だと言われた。」
それはそうだ。
それも分かってる。

「新聞の社説みたいに端的に書け」。
それはいやだ。
味気ない。


人生と教育方法を進めてくれたのは親。
親心。
選んだ人生は自分のせい。

俺は、親父の人生を後悔している。
揶揄するつもりはない。
尊敬している。
しかし、親父とて自分の人生を自由に楽しんでるだろ。
当時、俺が浪人していた時だってそうだ。
あのときは無職だったからな。
結局勉強するも資格は未だに取れず。
時間がないと今も言い訳をする。

だったら、無職の時間はなんだったんだ?
資格取得や人生観を考える時間じゃなかったのか?

そして、タバコは迫害あって一理なしと、バカにしてた親父が、ベランダで自分を煙に撒かれている姿を見た時は、衝撃だった。

うそつき。

でも、苦労に耐えかねた末の行為だったんだろうと思う。
それも親心で。


俺は、進められた人生を、進められたまま自分で『決定』してきた。

今、それに後悔し、自分で選択し決定している。


「ダンナの苦労も省みず・・・」
いや、それは違うな。
理解したいし理解して欲しい。

所帯を持ったから夢を追いかけてはダメなのか?
ただ働くだけで満足なのか?
ただ稼ぐだけで満足なのか?
ただ年老いて、親の介護をしなければならないのか?
子供の徳心を学校だけに預けていいのか?


俺は、お袋に一度だけ言った。
「歳老いたら面倒は見ずに施設に預けると。」
当時、お袋は涙した。

親心との裏切りの言葉だから。

しかし、今現にお袋の祖母は施設に、祖父は病院に入れられている。
これが現実だ。


現実を目の当たりにしているから思う。
未来にも目を配らねばと。

だから、俺は地元に残っている。
実家からすぐ近くに住居を構えて。
これは、子供ながらの気遣いなんだが、分かっていないようだ。


ダンナの苦労は分かる。
度を越えた異常な心を持った俺にどう接するか解らないだろう。

しかし、今日改めて反省する部分もある。
家族は俺の人生でもある。
大事にしなければならない存在だと。


そして、「何故?」、「なんで?」の言葉は攻撃にしか当たらないらしい。
普通の人に対して、その言葉は攻撃用語だと学べた。

でも、言葉遊びがないと考える力はなくなり、安全策しか取らないような存在になるんじゃないかと思う。
選択肢が減るだけだ。

そう、歳を重ねれば重ねるほど、安全策を強いていくのだろう。
親の意見を聞いて感じた。

家族を守りながら挑戦する・・・
難しいけどやるしかない。

親父を反面教師として誓う。

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