『極み辛』を謳った「からからうお」のカップ麺の辛さは効果覿面だった。
辛い物が好きなのに、体は拒否をする。
なんて悔しい事。
案の定、昨夜は腹を下し、ケツが燃えるように痛かった。
ストーブの前で腹痛に悶えていた。
何か夢でも見たような見ていないような。
不思議な感覚のおかげで、現実へ帰還。
まどろむような意識の中、時計の針がはっきり見えた。時間は午前2時前・・・
やってしまった・・・
睡眠薬を服用してから横になる行為と、それと同時に正露丸を飲んだからだろう。
薬の効きが良すぎた。
いつのまにかそのまま寝てしまった。
体を温めてくれていたストーブのおかげで、寒気は全く感じなかった。
ふらつく足元を、壁や手すりを使いなんとか寝室へゴールし、眠りに着いた。
今朝6時。
いつも通り、ダンナの起床アラームで目を覚ます。
きっちり、スウェット類を脱ぎ、頭の上に放ったまま寝ていた。
寝るときは、パンツとTシャツの薄着でないと眠れないという変な習慣は、まどろみの世界でも体が習慣化されているらしい。
この季節の起床時の寒さはさすがに厳しい。
放っておいたスウェット類を装備し、『目』を探す。
あれ?
ない。
俺の『目』が、ない。
俺の『目』。
生命線がない。
いつものスウェットの上に置いてある筈の『目』がない。
俺は、超がつくほどの近視であり乱視である。
数年前に測った視力は0.002以下・・・
俺の『目』である眼鏡。
それがないと、運転はおろか、30cm先の大きい字さえ見えない。
「眼鏡知らない?」
ダンナに聞いてみる。
「知らないよ。」
だよねぇ。
朝食の準備を『目』ナシで進める。
不快極まりない。本当に見えない。
見えない世界は本当に残念で、もどかしい。
けれど、逆にいいチャンスだと思った。
偏見かもしれないが、目の見えない世界だからこそ、見える物もあるかもしれないというバカげた発想を元に、軽い盲目体験をしてみたいという衝動に駆られ『目』ナシの世界を味わってみようと考えた。
記憶と感覚でキッチンを右往左往し、準備を終えダンナとムスメの朝食を差し出す。
相変わらず俺はコーヒー牛乳だけ。そして、ニュースを目から20cmの位置で見ていく。
一通り見終わった後、『目』の捜索を開始した。
やっぱり、見えない。
黒の上に黒っぽい色の物が、白の上に白っぽい物があるのすら解らない。
同系色は、同一色に統一され、色弱といった症状と共に、立体というオブジェクトさえも認識されない。
まどろみの平面化された2次元世界。
『目』の場所を予想していく。
昨夜、時計の針が午前2時前をはっきり見たことを覚えている。
だとすれば、そのときは『目』があったはず。
足取りから推察すれば、そのまま寝室に直行しているから、寝ていたストーブ前から寝室を探し回る他ない。
けれど、どこにもない。
ってか、見えない。
手探りで、床を張って匍匐(ほふく)する。
手にそれらしい感覚は当たらない。
ん~。
おかしい・・・
スウェット類は習慣化され、頭の上に放ってあった。
だったら『目』はスウェット類の上に置く事が習慣化されているはず。
なのに、スウェット類を漁っても見当たらない。
いくらアルコールに酔い潰れても、『目』だけは肌身離さず持っている。使っている。
生命線だからなぁ。
どこだ・・・
第二の『目』を使おうとも思った。
PC用のブルーライトカットされた『目』の開眼。
でも、それじゃぁ、まだまだ体験不足だ。
まだまだ苦しまなければ、盲目体験は本気で済まされない。
寝落ちした所と寝室を4往復匍匐した。
時間は捜索してから2時間経とうとしている。
だいぶ世界にも慣れ、視覚がない代わりに聴覚、嗅覚、触覚が研ぎ澄まされていくような。
いや、それは気のせいだろう。
もう一度再考察。
床に落ちていない事は確かだろう。
スウェット類の中にもない。
ならば、布団類の中か・・・
ダンナが綺麗に畳んでくれた毛布や布団類を引っ張り出し、再度振るいながら畳み返していく。
ガタンッ!
ビンゴーーーーー!!!
『目』は羽毛から飛び出してきた。
ここまで到達する事、2時間と少し。
不安な世界をと言っても家の中だけで済んだ事に良かったと思いたい。
『目』の無い状態で外を歩けと言われても、足元も信号機の色さえ見えないのだから不安極まりない。
軽い盲目体験の時間は2時間と少し。
十分な時間を無駄にし、ある種の恐怖を覚えた。
それは、失明の恐怖。
見えることが当たり前。
それが、いざ見えなくなるという事は非常に怖い。
視覚以外での感覚器によって作られる想像でしか『見る』が出来ない。
いやだなぁ。
ダンナの顔、ムスメの顔の喜怒哀楽の表情、そして歳を重ねる姿を想像ではなく実際に見られなくなるのは、寂しく切なく耐え難い。
同時に、盲目の人に対し、見える自分からアプローチしていかなければならない。
自分と姿見、状態が違うからと言って怯えてはいけない。
それは、自分が一番分かっている。
自分から声を掛けなければ、何も始まらない、生まれない。
「余計なお世話だ。」と、断られればそれはそれで良し。
自分の善徳の気持ちを素直に出していこう。
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