見慣れた道路。
曇天の中、Uターンドライブは続く。
「これは無理だよねぇ。」
「終わりしか存在しない集落もあるんもんなんだな。」
口々にダンナと煽る。
色褪せ、錆付き、誰も見はしないだろう。
しかし、斬新な言葉が、見慣れた風景の中で異物である事を恍惚と浮かび上がせる。
「ここは挨拶道路です。」
「みんな明るく!」
「今日はさようなら。」
「を実行しましょう。」
挨拶を促進させる看板だ。
「今日という1日の始まりが、終わりに変わる。」
「いや、終わりしか来ない毎日。」
「おはよう、こんにちは、ありがとうは何処に行った。」
散々ツッコミ倒す二人。
挨拶のほぼほぼを捨て去り究極の挨拶だけを繰り返す。
超一方通行だけの挨拶標識が小学校の側面に頓挫していた。
走りながら目視で確認できたのは3つ。
全て同じ標語。
多分、まだまだ点在していそうだ。
ってか、此処ら辺の住民はこの異常な看板に気付かないのか。
景色に溶け込みすぎて見えていないのか。
それとも、あの世の、あの世の人の為の看板。
車のスピードを上げそそくさと退散する。
「さようなら」。
見なかった事にする。
コンニチハ。
返信削除コテツマニアです。
おそらく「今日は(こんにちは)!」「さようなら」かと思われます。
まぁ普通に読むと「今日はさようなら」(きょうはさようなら)ですけどね。
コテツマニアさん、今日は!
返信削除ですか〜。
漢字の読めない自分には、悪意すら覚える標語ですよ。